長岡ケーブルテレビの取材で、長岡幕末の三傑の一人、河井継之助の第一人者である稲川明雄先生が、担当されている番組「ふるさと発見」でUNEと私のことを紹介していただけるということで来訪されました。
稲川先生とは20年来のお付き合いで、特に近代長岡の基礎を作った三傑の一人 三島億二郎のことについては色々と教えていただいいた経緯があり、最初は昔話に花が咲きました。
昼食後のみんなとの話し合いでは、戊辰戦争の西軍と東軍の戦いで一之貝が合戦場になったことや当時の村人たちの暮らし向きなどについて詳細なお話しを伺いました。
当時は山の木々が燃料用の焚き物として使われていたため、今の山の様相とは違って禿げ山、茅の山であったとのこと、木々が重要な資源であり、山が大切に守られていたことを再認識しました。
今回は急な取材訪問のため急ぎ足でのお話しでしたが、次回はもっと時間をいただき、もっと多くの一之貝の方々にお話しして貰うようお願いしました。