
今日は北荷頃のTさんご夫妻とMさんの3人がお越しになり荷頃地区の昭和の歴史についてお話しして貰いました。
昭和30年代の北荷頃は隣町の大野にある織機工場に働きに行く人たちが多く、比礼は帝国石油の所以開発で大変賑わっていたとのこと。また、一之貝は工場や油田に通うのが大変とのことで東京や中京などへ出稼ぎに行く人が多かったとのことです。
同じ中学校区ですが居住集落によって中学校卒業後の進路がそれぞれ違っていたとのことに驚きました。
車が自由に使える今では想像できませんが、それぞれ3~4kmしか離れていない集落なのに?何故という疑問もわきますが、交通手段の発展で自由に行き来できるようになったことで仕事を選ぶ選択肢が多くなったことは幸せなこととい思います。