お便り紹介 11

 一之貝物語
 私の生まれた一之貝の雷(いかづち)部落には、お店が一軒もありませんでした。10世帯位有りましたが、学校に上がる前に(昭和45年頃)部落が解村になり、一之貝、荷頃や長岡にそれぞれ引っ越て行きました。

 一之貝はお店が沢山あり、清水屋さん、正松さん、けんきちさん、ちづるさん、豆腐屋さん二軒、床屋さん二軒、桜井電機さん、農協(食料品、銀行、ガソリン)等が有りました!

 この他に行商の車が、一之貝小バス停前で車を止め、演歌を合図に普段手に入りにくい魚等の生鮮食品が、木箱に入れられてズラリ並びました。家 には、呉服屋さんやお菓子屋さんも回って来ました。私が楽しみにしていたのは、置き薬の方が来てくれる事でした!?家は、確か6箱の配置薬があり、遠くは富山の薬売りさんが、バイクでやって来て、一通り薬の検品、使ったり期限切品を入れ替えて清算します。祖母はお茶をだして、普段聞けない薬売りさんの行商先の話に聞き入ります。私達は、紙風船、風船といったオマケを貰えるのでワクワクしました。

 一之貝のお店は、お金が無くても買い物出来る!?「帳面」と言うモノがありました。通い帳と書かれた専用ノート(一之貝全店共通?)をお店に持参して買い物した金額を記入して貰い、月末に清算します。

 また隣近所さんとの「醤油を切らして…ちょっと貸して」と言うのも有りました。家は何の時 か忘れましたが、お隣のお風呂に入れて貰った事があります。

 一之貝は、昔も今も良い所ですね~(お店が少なくなり残念ですが、買物ツアーをやって頂き有り難いです。皆様が喜んでいる事と思います)

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コメント: 1
  • #1

    ミヤマオクヤ (月曜日, 25 8月 2014 17:19)

    そろそろ小中学生も夏休みも終わるころと思います。雷部落が解村されたのはs45年頃でしたか、私が居た25年~30年前半
    雷からの同級生が二人おりました。小学校で34~5人荷頃中学で100人程、私は夏休みが嫌いでした。ほとんど2~5キロ先の田畑の草取り手伝いでしたが雨が降ると休めるので学校で叩く休み太鼓の音に手をたたいて喜んだ記憶があります。今になるとこれらの事が社会に出て役に立ったと思っています。