
いよいよ、蕗のとう等春の山菜も芽吹いてきました。ウネハウスの食卓にも並ぶのでしょうか?一之貝には、食堂が無いのでコックさんになって村の人にラーメンを食べて貰うのが昔の夢でした。益々のご繁栄をお祈り申し上げます。
一之貝物語
家から、見える八方台の方の山々が真っ白から虎の背中の模様に変わりつつあります。まだ暖房は、手放せませんが少しずつ春の陽気が感じられるようになってきました。最近は、エアコンでの暖房が多いようですが、一之貝小の低学年頃は達磨ストーブでした。朝一番に、用務員さんが石炭をストーブに入れて、石炭に針金を巻いて持ち手を付けた物に、油を染み込ませて火を付けて各教室を回り着火します。冷え冷えした教室が、じわじわと暖かくなってゆきます。学年毎に石炭当番があり、ブリキで出来た横長の黒いバケツを持って今残っている体育館のトイレ辺りに石炭箱があって、放課後前に取りに行きます。テレビ台ほどの、小さな窓を開けると中は石炭の山。小さなスコップで、バケツに入れます。行きはヨイヨイ、帰りは重い!!一人で運ぶので何度も休みながら運びました。そんな難儀な当番でしたが、楽しみもありました!石炭に、化石の模様が着いていてそれを探すのが楽しかったのです。主に、鳥の骨型の模様や足形、葉っぱの化石を見る事が出来ました。3年生頃に、石油ストーブに入れ替えられ石炭当番も無くなりました。
家の暖房は、堀こたつ。家により大きさが異なりました。家は、長方形で大人6人が入れる大型の物で足元に金網がありました。足を入れすぎて靴下を、焦がす事も無く、木炭の遠赤外線効果で身体の芯まで暖まりました。洗濯物を乾かすのに入れたりもしました。余りに気持ち良くて、頭までもコタツに入れて「酸欠で息が出来なくなる」と叱られました~でもなぜか!?猫は、平然とした顔でコタツの中で暖をとり、ふらふらする事も無く出入りしていたのが今も不思議です!?
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ミヤマオクヤ (日曜日, 06 4月 2014 11:03)
私が一之貝小学校に入学したのがS25年代当時は小中一緒だったようです。冬場は教室の隅に四角い大きな火鉢がありました。道路はまだ除雪されておらず、かんじきで踏み固めた道を
歩いて学校に通いました、授業のやすみの間に鬼ごっこ等して
遊んだ楽しい思い出が浮かびます。 故郷はいいですね、