お便り紹介4

一之貝昔物語
 私達が、小学校に入った時は全校で70名位で学校給食が実施されていました(昭和46年頃)お昼11時を過ぎると給食室からいい匂いが、教室に漂ってきます~冬になると、小学校の坂道を除雪出来ないので給食の食材を運ぶのが困難になり、そこで学校から児童に案内の紙が配られ各家庭から「野菜を持参して下さい」「人参○本、じゃが芋○個…程度を目安に持ってきて下さい」と記載されていました。パンも運ぶのが大変なので冬はお弁当にごはんだけ入れて持参しました。ごはんが冷たいとかわいそうと言う配慮でストーブの脇に学校の下駄箱を小さくしたような木製の棚が置かれ、お弁当をストーブの熱で保温しました。アルミの弁当限定にもかかわらず、プラスチック製を持参た子がいて熱で溶ける匂いがしたり、箱が曲がったりで大変でした。高学年の頃には電気の保温器になりました。お陰でご飯を温かく頂く事ができました。牛乳は週に2回位付いて、配達の方が一之貝小入口バス停からソリに牛乳を乗せて、坂道を押して届けて下さいました。それを、お酒の熱燗のようにお湯で温めて出してくれました。一之貝小ならではの心配りで、温かい牛乳は体をぽかぽかに
してくれました。給食のおばさん一人で大変だったと思います。今更ながらありがとうございます。作るのは大変なので文句を言っては、いけないのですが冬になるとやたらと漬け物が出ました。塩だけで付けたのか?白い沢庵で、ただただしょっばいのが一人五切れも付きました。しそ入りの刻み野菜のもろみ漬けが大さじ二杯も…しょっぱいのでそれだけご飯が空になりました。その食材を、阻む冬の坂道ですが、体育の時間のスキー場になりました。低学年は、グランド、中学年が、坂道で、高学年は、なかよし公園でした。グランドで、雪祭りをやった事がありました。学年毎に雪像を作って私達は、ぶんぶく茶釜を作りました。父母も招かれて、甘酒が振る舞われて賑やかでした。その光景は、白黒の卒業アルバムに収められています。